語り手は「人」から「モノ」へ。 – NHK沖縄「遺品が語る沖縄戦70年展」
※記事の情報は執筆時点のものとなります(9年前の投稿)
関東で生活していたころ、終戦といえば8月15日でした。
しかし、沖縄へ移住してみたら終戦といえば6月23日。
そう、この日が沖縄戦の終わりの日なんです。沖縄戦の起きた場所、沖縄県は「慰霊の日」といって6月23日は公休となっています。
県内では慰霊に関する催しや、ニュースが流れたりして、戦争の悲惨さや恒久平和の重要性を発信しています。
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戦争についてあまり触れずにきました
沖縄に住む人にとって、「戦争」のワードは切っても切れない関係。
ただ本当に恥ずかしながら、私たちは、沖縄戦について移住前も後も熱心に調べたりはしていませんでした。
やはり「戦争」は重々しいワードです。しかも私たちは戦争を体験していない世代。知らないのは問題かもしれませんが、どんなに知っても当事者からすればはるかに無知の連中です。
沖縄に移住してきたとはいえ、すぐに向き合うには心苦しさがあり、今まで必要以上には触れずにきました。
NHK沖縄で「沖縄戦の遺品」を展示
そんな折、人づてに、NHK沖縄放送局の入り口で行われている「遺品が語る 沖縄戦70年展」を知りました。
NHK沖縄放送局の取り組み「沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ」のひとつ。
「戦後70年にかけて、戦争の悲惨さを今に語る当時の品々を募集」し、集まった品々とそれに関わる人々を取材した番組を放送。それに合わせ、実際の遺品などを展示する催しを、6月28日(日)まで入場無料で行っています。
お、これはいい機会かもと思い、行ってみることにしました。
戦争の記憶は「人」から「モノ」になる
展示会へいく前、「なんで戦後70年だと遺品展示なんだろう?」とちょっと疑問に思っていたのですが、きちんと理由がありました。
今まで戦争といえば、祖父母くらいの世代の人々が、戦争当時の記憶を語るケースが普通だったと思います。でも実は、戦後70年の時間が経った今、戦争を体験した方々は寿命で亡くなってきています。
70年から80年へ進むこれからは、「戦争を語る人」だけではなく、「戦争を語る物品」から、自分たちに戦争の悲惨さや愚かさを伝えていくことになるのだそうです。
そういった折、遺品とその記憶を知る方の存在は大変に重要!まさにこのタイミングで遺品と戦争の記憶を取り上げる必要があったわけです。70年という時間を感じますね。
展示の様子
展示はおもろまちにある、NHK沖縄放送局の入り口の一角で行われています。
10〜15分もあれば見てまわれるので、お近くの会社のかたは、お昼休みでも行くことができます。
実際に放送された番組の映像も流れていて、見ることができます。
戦争を語る遺品
会場では20点ほどの遺品が、説明とともに展示されています。今回は4点をご紹介したいと思います。
母と右腕。記憶は写真1枚だけ
こちらの写真の持ち主は、母親に抱かれている赤ちゃん(もちろん現在は大人です)。
戦争のときの爆発に巻き込まれ、母をなくし、同時にご自身の右腕をなくしたそうです。戦争であらゆる記録も焼けてなくなってしまい、母と自分の右腕の記憶は、後にも先にもこの写真1枚にしか残っていないとのこと。大切な1枚です。
スマホやデジカメでサクッと写真や動画をとって、100枚でも1000枚でも、ほとんど無限にウェブで保存できてしまう現代の状況からは想像がつかない状況が戦時中にはありました。
鍋は今でも使われている
戦時中に、疎開先で工場から廃棄されたアルミや真鍮をつかって自作された鍋だそうです。
きっと当時は戦争をするためにあらゆる物資は使われてしまい、生きるためになんとか工夫してやりくりをしていたんだろうなと思います。
さてこの鍋、驚くのは、なんと今でも持ち主のお家で使われている物なのだとか!現役の鍋なんです!
家族の食卓を70年以上も支えながら、戦争の記憶も伝える鍋、まさに戦争を語り継ぐ「モノ」の重要性を感じました。
冷静にすすむ戦争
遺品のなかに「海兵隊への志願書」の申請書類がありました。
文字の使い方は少し昔っぽかったですが、まるで役所や会社の手続きでもするかのように、冷静に戦地への出向手続きが記載されていました。
戦争といえば殺しあい、お互いが狂いあっているようなイメージを持ちますが、想像以上に「冷静に」ことは進んでいくのだろうな、そう感じ、肝を冷やしました。
米軍からの宣伝チラシ
宣伝とはいっても、商品やサービスなんて生易しい宣伝ではありません。
敗けを認めて「捕虜になりなさい」という宣伝です。
伊江島で散布されたというこの宣伝チラシは、当時、沖縄本島に上陸した米軍が、日本軍の余力のなさや、捕虜になった場合の待遇の良さ、そして敗けを認めない場合の非情な対応を、島の人々に伝えたものだそう。
戦争中にまいたものなのに、裏面がちょっと気の利いたグラフィックデザインになっているのが、なんだか戦況を現しているようで生々しいです。
恐ろしいのは、このチラシの絵柄を気に入って拾った持ち主(当時は子供です)のかたが、親類から「そんなのを持っていたら寝返ったと思われて(仲間から)首を切られるよ」と言われていたということ。仲間同士でもこんなに自由を縛りあっている状況だったなんて…。壮絶過ぎます。
そのほかにも、戦火を逃れた三線や、銃撃を受けたもんぺ、戦地へ赴く人を見送った国旗など、すべての品々が様々な角度から戦争をリアルに伝えています。
数字が語らないもの
実際に遺品を目の当たりにすることで気づいたことがあります。
非常に多くの場所で、戦争の悲惨さの表現に用いられる「数字」は、残念ながら、私たちに戦争それ自体の悲惨さを語りきってはいないことです。
沖縄戦の死者は20万人を超えるそうです。たしかにそれ自体は沖縄戦の悲惨さの説明として必要です。私はこの数字を知っていました。しかし数字は私にそれ以上を伝えなかったです。
身体を鉄に撃ち抜かれる苦しみや、轟音のなかほんの一瞬の間に愛すべき親を奪い取られる無念、暗闇の熱帯の森のなかで一秒先の自分の命を保証されない極限の不安、言葉の通じない相手に巨大な銃を突きつけられる恐怖、何が悪いのかもわからず声もあげられない閉塞感。
遺品を見たとき、その意味を知ったときに、身体に沸き起こる「生々しい悲惨さ」。それこそ、本当の戦争を私に語りかけました。本当に、怖いです。
大人になるほど難しい問い
戦争を生きた人々が、今を生きる人と比べて愚かしいとは思えません。
それでも戦争が起こるのはどうしてだろう、と、疑問が残りました。
社会はどんなに平等で高度であっても、間違いを起こすものなのかもしれません。今の平和も約束されたものじゃないですしね。社会が間違えそうな時、世の中をはみ出してでも「平和」を選び、社会の仕組みをみずから調整し続けるっていうのはとても大変なことだけど、平和にむけたひとりひとりの命題なのかもしれません。
うーむ、「戦争と平和」。。
大人になるほど難しい問いだなー、と、考えさせられる展示会でした。
遺品提供者のつよい想い
会場で案内をしてくださった方が言った、印象に残っているセリフがあります。
『遺品を提供してくださった方の多くが、「戦争について今までずっと語りたくなかった。だけど70年の節目に、いま語らなくてはいけないと思った」といって協力してくださったのです』
この一言をきいて、今回のこの催しは遺品提供者の方の想いがつまった催しなのだと感じました。