やりたいことで悩む人は、夢のもちかたを変えると良いです[ひげコラム]
※記事の情報は執筆時点のものとなります(9年前の投稿)
沖縄移住がテーマなこともあって、「夢」というワードについて関心があるみなさまも多いように思います。
今回は「夢の描き方」について、書いてみようと思います。
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子供の夢は叶わない..?
小さい頃に「将来の夢」の作文を書きましたよね。
プロサッカー選手とか、ケーキ屋さんとか、アイドル、総理大臣、いろいろな夢があったと思います。
しかし現在、あの頃の夢を思い返すと、残念ながら多くの人が、夢破れています。
幼少のことなので気にしなければいい話ではありますが、実現ハードルを目の前にして描いていた夢を諦めた時、「夢のなくなった自分」だけが残るのは、とても虚しいことです。
身の回りに「やりたいことって何?」と言われると、「え?うーん、まぁ、なんだろね..」なんて戸惑ってしまう人が多いのも、事実。
幼い頃、純真無垢で描いた夢が、青年になる頃にあっけなく砕け散ってしまう体験の影響は意外と強いように感じます。
夢の落とし所が難しい..?
でも自分の子供が「将来の夢は、最低限度の文化的生活の担保」とか、生活保護基準みたいことを言い出したら親としては切なすぎますよね笑
私は、幼稚園の時に”将来はサラリーマンになりたい”と言い、周囲から失笑を受けました(当時は正社員はなれて当然だと思われていた)。90年代前半。バブル崩壊の影響をモロに受けた幼稚園児の夢はかなり現実的です。
でも結局、「叶えられない夢」も「叶って当然の夢」も、描くだけ虚しいものです。
高すぎてもダメだし、低すぎても切ない。どうすりゃえぇねん。
ほとんどの人が、この「夢のちょうどいい落としどころ」に悩み、結果的に夢を持つのってなんかちょっと痛いと、思っている節があります。
夢は達成目標ではなく「目的」
でも少し落ち着いて考えてみると、そんなに難しい問題ではありません。
私たちは根本的に夢の描き方を間違えているからです。
最近、強く思います。私も含め多くの方が「夢」だと思って描く「なりたいもの・叶えたいこと」は、夢ではなく「達成目標」なのではないでしょうか。
夢は「目的」であるべきだと、私は思います。
目的と目標の違い
自分自身の理想である「夢(目的)」と、実現させていくべき「達成目標」は、似ているようで全く違います。
- 「夢(目的)」・・辿り着かないくらい先にある、追い求める理想
- 「目標」・・・・・夢(目的)の実現を、実世界で実感するために達成する物事
といった具合。
つまり、夢は「達成できる」時点で、夢じゃないんです。
達成できるのは「目標」。夢より少し下のレイヤーで持つべきものです。
ビジネス企画なんかをされている人は「目的」と「目標」の違いをよく気にされるのでピンときますよね。
夢を描くときにも、目的と目標の関係が、ピッタリ当てはまるように思います。
夢の描き方を変えよう
やりたいことが定まらなくてモヤモヤしている方、夢とか恥ずかし過ぎて口にも出せない方は、多分、小さい頃に「〇〇になる・〇〇を達成する」のが夢(目的)と教わった人だと思います。
こういった場合、少し考え方を変えるといいです。
夢(ハードル)を夢(モチベーション)に変える
目標を目的にしてしまうと、達成途中の自分の存在が薄くなり、また、達成した後や達成を諦めた瞬間に、モチベーションが消え、活動が続かなくなります。
夢は達成ハードルではなく、現状の自分を動かすエネルギー。想像できる、自分にとって最高の状況です。
「辿り着かないくらい先にある、追い求める理想」を夢にしましょう。
夢は他人に理解されなくてもいい
本来、個人的な夢というものは、自分自身が実世界で有意義に生きるためのモチベーションとなるものです。
別に誰かに理解される必要はなく、極端なことを言えば、感覚的でいいし、常に心に存在すればそれで十分なものなのです。
例えば、プロサッカー選手になりたいという人は、プロサッカー選手になる事実だけを機械的に追い求めているわけではないですよね。
- 注目の集まるフィールドで勝利した時の得も言えない興奮
- 大会でみんなで優勝を達成した時に得られる充足感
- サッカーボールが自分の意のままに操れた時の喜び
「サッカー選手になる」のは、この人が「興奮や充足感や喜び」を感じて生きていくために、作り出した「目標」なわけです。達成することが大事ではなく、感覚を追い求めるのが大事。
目標はダメなら「別の目標」を立てればいいのです。
テレビや雑誌は、商売柄「結果や事実」を放映するので勘違いしがちですが、本当は主観的な感覚に、プレイヤー個人は幸せを感じ、日々の辛いトレーニングも、身をよじるような敗北の悔しさも乗り越えているわけです。
これはもちろん、サッカー選手以外でも当てはまり、柔軟に追い求められる感覚的な目的ほど、一生かけて追い求められる夢として適しているものなのです。
「夢」を「達成目標」と混同して描いてしまった
私も含め、多くの人は小さい頃に「夢」を「達成目標」と混同して描かされます。
大人からすれば「大きな夢を描いて欲しい」ので、子供は「無謀とも言える達成目標」をしれっと掲げることになります。
夢があってよかったねーと、周囲も自分も安心している間に、自分の人生を充足させる理想を考えることも、実現させるべき目標に向き合うこともなく、14,5歳くらいで、「無謀とも言える達成目標」が、いよいよ無謀となります。
その頃には夢を描かせた人々はもうそのことを忘れ、「で、進路どうすんの?」と、いきなり状況が変わるので、みんな困るのです。
私は、サラリーマンの夢のあと、小学2年生でやっぱサッカー選手だよねと夢を変更。翌年、弱小サッカークラブに入って、小学3年生で「やっぱ昆虫博士っしょ」と切り替わり、さらに小5で「沖縄移住」に変わります。さらにそのあと、「NBA選手」だったり「介護福祉士」だったり「デザイナー」だったり、コロコロ、コロコロ夢が変わりました。
それもそのはず、自分の軸になる夢(目的)を考えたこともなく、その時その時で「目標」ばっかりを描いていたのですから。
自分も周りもコロコロと夢が変わる人には、あまり良い印象は持ちませんよね。
個人の夢は、その人の生き方の軸。時間をかけて自らの感覚的な思いを熟考してこなかったので、軸がない人間になっていたのです。
夢の持ち方、描き方
ここまで読むと、夢の描き方もなんとなくわかると思います。個人の夢はこうやって描きましょう。
感覚的なもののために「やりたいこと」を決める
夢は極限の理想状態。そして感覚的なものを追い求める方が良いです。前述した通り、必ずしも言葉で表現できる必要はありません。
言葉で言えるのであれば、「自分のアイデアが人から評価された時の喜びを感じていたい」とか「不安な人が笑顔になった時、それを見た自分の安堵感と充足感を感じたい」とか、ある程度抽象度の高い表現を用いましょう。
もちろん、自分自身の気持ちや感覚に対して違和感がないように。
ただ、実際は違和感があっても、自分のことなので何かの機会にふと、相応しい夢にアップデートされます。自分は「興奮するような刺激」ではなく「達成した充足感」が嬉しいんだ、そんな風に、感覚的な違和感は自然と調整されていくものです。
小さな充足感の継続も夢です
感覚的な夢を描こうとしばらく考えていれば、自分が何に対して喜びを感じるのか、自分にとって良い状況とはどんなものなのか、自然とわかるようになってきます。
そうなると、実は「子供たちが健康で、元気に育つ。その中で得られる充実感」など、人によっては当たり前に思われるものごとも、自分が追い求めたい強い夢になります。
「夢」というと、何か大きな物事を成し遂げることにばかり目がいきがちですが、自分の感覚を正しく捉えていれば、小さな充足感を感じる場面を続けていくことも大事な夢と、胸を張っていえるようになります
目標はいくつも持つし、変わるもの
さて、夢が「目的」ならば、目標はどうするか。目標はもちろん持ちましょう。
ただし、1つではなく複数、そして達成状況によって変えましょう。
目標は、「自分が求める感覚」を実現するための目印。目標がないと、夢はただの妄想になります。
一方で、「極端に大きい目標だけ」を持つのは、無謀すぎます。
例えば、「サッカーをするのが好きなのでサッカーに一生触れていたい」そんな人でも、、
- 叶ったらすごい!挑戦的な目標
- たくさんの人を幸せにできる目標
- 個人の体験を徹底的に追及する目標
- 新しい可能性を模索する目標
など、目標のタイプを複数持つことができ、掛け算してみれば、、
- プロサッカー選手になって活躍する(挑戦的)
- 海外でサッカー教室を開いて子供達に教える(みんなを幸せに)
- リフティングを連続1000万回達成する(個人の体験を追及)
- サッカー保険のビジネスを創り出す(可能性を模索)
などなど、たくさんの目標を考えられます。
もちろん、なんでも中途半端に追いかけることはおすすめしませんが、例えば達成が難しい順に挑んでいくとか、自分の年齢によって目標を変えていくとか、自分の夢と理性的に向き合うことができます。
目標の持ち方は個人個人で合理的なやり方をすべきだと思います。
大人の人はどうするの?
とまぁ、理想ばかり並べても、学校の先生なんかは実際授業で「将来の夢」の作文を書かせる立場にあるわけです。
子供達から「私の夢は私個人の感覚的なものだから、文章では表現できません」なんて書きまくられた日には、授業も成り立たず困るわけです笑
それに私も、子供ができたら「将来なりたいものは何?」くらい気軽に聞いてみたいです。
では夢を聞く人はどうするのか。
夢に「目標」を描いてもらった場合は、その「動機」についてきちんと話を聞けばいいのです。
「なぜ?」に思いを巡らせる時間
自分の夢を「目標」として描いた時に、足りない部分は「なぜ?」の部分です。
それを考える機会を提供しましょう。
「将来、何になりたいですかー?」と聞かれた時、答えた人はきっと、直感的な動機のもと、なりたいものを答えています。
直感的に抱いている「なぜ?」の部分を思い返し、ゆっくり思いを巡らせることは、人生を有意義に生きる上でとても重要なことです。
子供になりたいものを聞いたのだとしたら「サッカー選手!」「アイドル!」「お医者さん!」だけで終わらせないほうがいいです。
「そう考えたきっかけ」を聞くことで、本人が感覚的に好きなもの、喜びを感じるもの、充実感を感じるものなどを、話す機会ができます。
一緒に話を共有しながら、本人が夢の整理をする手助けをしていくのが、夢を目標ではなく、目的に変えていくきっかけになるように思います。
時代に合わせた夢の描き方がある
日本の今の状況をなんとなく追ってみると、市場競争をどんどん起こし、経済発展やテクノロジーの繁栄だけを夢中に追い求めていればいい状況ではないことが分かります(個人の見解ですが)。
夢を大きな「達成目標」にするのは、みんながたくさん働けば、1年ごとに収入が倍になる時代だからこそ、機能した話。
とりあえず物が増えれば豊かで幸せだから、途中経過が悪くても結果オーライだったんです。
しかし、ものが行き渡って格差のあるこの時代、経済的な勝ち負けや競争による成長は1つの幸せの側面でしかありませんよね。
高い目標を掲げることは良いことでもあります。いろいろな「目標」を追い求めて、1つの目標達成がダメでも事切れずチャレンジ出来るよう、「夢」は個人の人生の充足感のために感覚を大事にして描きましょう。
時代に相応しいきちんとした「夢」の描き方ってきっとあると思いますよ。