お祭りで綱引き!? 沖縄で開催される伝統行事
※記事の情報は執筆時点のものとなります(9年前の投稿)
「沖縄に移住して、驚いたこと。」の記事を書いた後に、他にも沖縄に移住してから驚いたことがあるのを思い出しました。それは、綱引き!
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運動会ではなくお祭り
「綱引き」と聞くと思い出すのは運動会。私は運動会以外で綱引きしたことはありません。子どもの頃、姉と喧嘩して物をひっぱりあったくらいでしょうか。
でも沖縄では綱引きが伝統行事のよう。お祭りのように人も出店も集まり、みんなで綱引きをして豊年祈願・無病息災・子孫繁栄などを願います。
とてつもなく盛り上がるらしい!
私が住んでいる与那原の綱引きは沖縄三大綱引きの1つです(残り2つは那覇と糸満の大綱引き)。そのためすごい盛り上がっていました。
開催の数ヶ月前には町役場で2014年版与那原大綱引きのTシャツが売られていたほどです。
残念ながら当日は別の予定があり行けませんでしたが、終わった後にいくことができたのでその時の写真を掲載します。
綱引きが終わったあとは、綱を小分けに切って持ち帰る方もいるそう。家内安全・厄除けなどの効果があり、綱だけを求めて来る方もらしいです。
けが人もでるとかでないとか…
地元の方から聞いた話ですが「時々綱引きで骨折する人もいる」とのことです。これだけ大人数で勢い良く引っ張り合ったら、足を踏んでしまったりと確かに骨折の危険性は高そうですね。
いつから綱引きが始まったのか?
いつから綱引きで豊年祈願などをするようになったのか?を調べてみました。
那覇の綱挽は1600年代から行われていたとされる。
17世紀、那覇が首里の外港としての地位を確立すると、西村、東村、若狭町村、泉崎村の「那覇四町」が成立した。そうした中、四町が東西に分かれてみーんな(女綱)とをぅーんな(男綱)をかぬち棒でつなぎ、東西に分かれて綱を引き合うという「那覇四町大綱」(ナーファユマチウーンナ)が定着したとみられる。その後、那覇の発展とともに周辺の村々も加わるようになって琉球王国の国家的催事となり、1812年には「那覇綱挽規模帳」が作成されてルールが明確化。祝賀行事としてだけでなく、薩摩藩や清からの使節の歓迎行事としても行われるようになった。
明治期以降も不定期に開かれていたが、戦時色が強まる中で1935年の開催を最後に途絶えた。
沖縄の本土復帰の前年1971年、那覇市の平良良松市長が市制50周年記念事業として10月10日に復活させた。
引用:那覇まつり – Wikipedia
琉球王国の時代から綱引きをしていたんですね。綱引きはとても昔からの伝統行事でした!
那覇大綱挽はギネス認定!
那覇大綱挽で使用されている綱は、直径156cm×全長約200m。なんと総重量は43t!世界一としてギネスに認定されているそうです。す、すごい!
来年こそは参加したい!
せっかくなので来年こそは綱引きに参加したいです!
沖縄の夏に観光へ来た方は、参加してみると良い記念になるのではないでしょうか^^
日程と開催場所は、大綱引き一覧を参考になさってください。