沖縄に移住する前の私の暮らし
※記事の情報は執筆時点のものとなります(10年前の投稿)
沖縄移住する前に、私がどんな風に暮らしてきたかを子供時代から思い返して書いてみます。
沖縄移住を考えていらっしゃる方々が、何か重ね合わせて参考となる部分があれば幸いです。
私の自己紹介はこちらに書いてあります。確認したいかたはお読みください。
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子どものころ夢見た沖縄移住
将来の夢は沖縄移住
小学校のときに卒業作文で、将来の夢を「沖縄に住む」と書きました。
家族で行った沖縄旅行で、沖縄を直感的に好きになり相当のインパクトを受けたようです。
サッカー選手だとか警察官だとか、周りは小学生らしい夢を書いているなかで、自分の作文が若干、浮いていたのを覚えています。
小学生当時、「いつか沖縄移住するんだ」と心の中でよく考えていました。
沖縄の海や山、そして亜熱帯の生きものたちに囲まれて毎日を過ごしたら、さぞかし楽しいだろうなぁと思っていました。
それは時間が経つあいだに薄れたり、よみがえったりを繰り返しながらも、大人になるまで変わらずに心のどこかであたため続けられました。小学生のときからずっと「沖縄移住」は私にとって楽しい夢でした。
沖縄移住、進展なし
しかし、だからといって、よくある話のように「目標を決めて何かアクションをしてきました!」みたいなことはまったくしませんでした。
全然なんにもしていません。
沖縄移住のために小・中・高と勉強すべきもの、訓練すべきものなんてないですしね。
もちろん、好きなので多少は沖縄の生き物などは調べたり、沖縄戦の話などには耳を傾けたりはしましたが、沖縄移住のために普通の人より特別に何か努力したという覚えはありません。
心構えも、タイミングがあれば移住しようかなくらいなものでした。
中高、人並みに過ごす
私は中高生までをおよそ人並みに過ごしました。
中学生の頃はバスケットボールにハマり、毎日部活に明け暮れました(部活少年で坊主頭でした)。高校もバスケをやろうと、思い切って強豪校に進学したのですが、3年間補欠というか応援要員のまま。
好きこそものの上手なれとまではいかず、少し悔しい想いをしました。
中高生の間は、沖縄に触れることもなく、健全な感じで卒業までを過ごしました。
小学校以来、関心が離れ気味だった沖縄ですが、しかしやはり、常に心のどこかにはありました。
沖縄のことをテレビでやっていれば「おっ」と思い観ていたり、図書館でオカヤドカリの本を借りたり(←オカヤドカリが好き)と、趣味の延長みたいなところで沖縄の情報を得ていました。
無理に何かする必要もない分、嫌いになることもなく。
付かず離れずしながら、沖縄のことを時間をかけて、ゆっくりと好きになっていった感じです。
大学生になって再び沖縄が気になる
友人との沖縄旅行で慶良間の自然に出会う
大学へ進学するタイミングで(ちょっとだけ)沖縄の大学にでも行こうかなと考えました。が、沖縄に行きたいから沖縄へ大学進学は、さすがに動機不純で、思い直して関東圏内の大学を目指し、進学しました。
大学生になり、あるとき友人と男三人で沖縄旅行に行きました。
小学生以来の沖縄、また行けると思うととてもわくわくしたのですが、学生で豪華なホテルに泊まるようなお金もなく、さらに全員、車の免許も持っていない…。
車を使わず行ける沖縄らしいところということで探した結果、座間味島に行き、キャンプをすることになりました。
そのときは、慶良間諸島が世界遺産になるような素晴らしいところとは、まったく知らずに座間味島に行きました。
そして、その自然の美しさと、海の透明さ、亜熱帯の雰囲気にすっかり感動し、
沖縄はやっぱすげぇいいな!
と、なってしまいました。
沖縄の魅力は子どもの頃に感じたままだった
冒険感・ワクワク感を感じるダイナミックな自然。
海や緑に包まれているような安心感。
鳥、魚、虫など生きものとリズムが合っているような一体感。
そしてどこか懐かしいような。
色々な感覚が複雑に混じり合う、沖縄のあの感じは、小学生から7年経っても変わっていませんでした。
小学生のときの感覚が溢れるようによみがえり、自分が変わらず沖縄に魅力を感じているのを再確認しました。
沖縄に引き寄せられる人は、この不思議な感覚みたいなものをみんな感じているように思います。
なんでしょうね、
説明するのは難しいのですが、このノスタルジックさと、亜熱帯のエネルギッシュな感じと、癒されるような感じと…。
いろいろなものが入り混じった、この魅力的な感覚は小学生から大人になっても変わらず、私が沖縄に魅力を感じる源になっています。
そんなこんなで、このときから、すっかり沖縄熱が再浮上したのでした。
雑誌やネットを見てみる
沖縄旅行後、沖縄への興味が再燃した私は、とりあえず沖縄雑誌を買って読みふけっていました。
私が大学生のときは、「沖縄スタイル」という雑誌がちょうど刊行されていた時期で、それを買って読んでみたところ、沖縄移住への夢が一気に膨らみだしました。
当時、沖縄スタイルは、定年後やセミリタイア後のセカンドライフの場所として沖縄を紹介していました。
なので私はあまり雑誌の対象の人間ではなかったのですが、写真がとてもきれいで、こんな風に暮らすのはとても素晴らしいなと思ったのを覚えています。
とくに南城市を中心に南部の風景にすっかり心奪われてしまい、こんなところに住めたらいいなと考えだしました。
「移住」というワードに憧れを抱き始めたのはこのときでした。
インターネットでも沖縄
雑誌で勢い(?)がついた私はそのあと、沖縄移住をインターネットを使って検索しだします。
そのときに、沖縄移住生活というサイトを見つけました。当時、大学の授業が終わったあと、家でヒマなときは、このサイトを熟読していた覚えがあります。
このサイトは、サイト管理人のかたが移住の実体験をエピソードでまとめてくださったり、沖縄で出会った文化や習慣を等身大の目線で説明してくださったりと、沖縄移住のことを知ることはじめにピッタリだったように思います。
大学時代に見つけてから現在まで変わらず運営されています。私が大好きな、とても素晴らしいサイトです。
このサイトを見て、
実際に移住する人がいるんだ!
と、沖縄移住が、ただの夢妄想ではなく、急に現実の可能性として開けたような気がしました。「すぐにはできなくても、いつか本当に移住できるよう準備してみよう」と、実現を小さく決意するのでした。
しばらくは東京都内で会社員
ウェブデザイナーになる
決意をしたとはいえ、すぐに移住をするわけでもなく、大学院を卒業した私は都内でウェブの会社に新卒就職します。
このときは就職氷河期の終わりかけの頃で、一生懸命就職活動をしても内定をとれない人がいるくらいの時期でした。私も受かったのは1つだけ。本当に助かったのを覚えています。
大学院でUIデザインを勉強した私は、ウェブデザイナー職として働き始めました。
会社はとても良いところで、人間関係も仕事も私としてはかなり恵まれた状況でした。
お給料も(もともとこだわりがないのですが)、高くないながらも下働きで安く雇われるような額でもなくちょうどいい感じ。すぐに会社に馴染んでしまい、そのまま3年半働きます。
人生的にはとても良い状況ですが、沖縄移住にとっては、とても微妙な状況に!
転職や起業が当たり前となったこの時代に、こんなこと言うのもあれですが、正直、できればこの会社にずっと勤められると良かったと思っています。
でも、自分のなかで沖縄移住をすることは非常に大事なことでした。
小学生から17年も思い続けると、沖縄に住みたい意志が、自分の存在の一部分としてしっかり根を張っているのです。沖縄移住を諦めることは、自分の半生を否定するくらいの感覚がありました。
だから、沖縄移住を決意したとき、会社を退職してでも移住をすることにしました。
会社を辞めるときも、同僚や上司が次の仕事やこれからの生活を心配してくれて、本当にありがたかったです。
仕事に関して移住後に良さそうなこと
仕事に関しては、3年半、ウェブデザイナーをしたのは、沖縄に行ってもできる仕事のスキルが自分に備わった点で、とても良かったです。
ウェブの専門職なので、就職の際も営業職などよりは、競争が少なくなります。
場合によっては場所の制約を受けずに仕事ができるため、もし県内で仕事に困っても、県外から仕事を持って来れるかもしれません。
そういった意味でウェブ制作のスキルを身につけられたのは良かったなと思います。
私の周りの話に限っていえば、沖縄県に移住して来られるかたで、若いかたですと、比較的、専門職としてある程度の経験を積んでから沖縄に来ているかたが多いです。
- 看護師
- 歯科医師
- ライター
- ウェブ・アプリ制作業(ディレクター・デザイナー・エンジニア)
(もちろん全部が全部ではありませんが、)専門職種であれば、沖縄だから仕事の内容が大きく変わるといったこともないので、ある程度経験を積んで、若いうちに移住すれば、職場の人間関係にも慣れて長期的に活躍していけるように思います。
そして沖縄移住
そんなこんなで、3年間とちょっと仕事を続けたあと、私は会社を退職し、沖縄に移住しました。
このように、私は沖縄好きといっても、そんなに「沖縄マニア」ってほどではなく。沖縄好きと明言する割には、恥ずかしながら、けっこう普通の人としてここまで歩んできました。
沖縄については誰にも負けない知識がある!
とか、
沖縄の環境問題に対して情熱がある!
とか、そういった感じではないです。
でも振り返ってみると、小さい頃から
沖縄良いとこだわー
沖縄行きたいなー
といった、小さな情熱を15年以上積み重ねて沖縄移住の行動につなげているので、長きにわたってずっと同じことを考え続けられることは大事なことなのかな、と感じます。
次は沖縄移住のキーパーソン、妻ピノ子の紹介をします。